1976
資生堂秋のキャンペーンは、同社にとって最も重要な広告と言ってもいいだろう。化粧品各社とも秋のシーズンはメイキャップに力を注ぐからだ。
まず、その年のモデルを決めなければならない。
アートディレクターの鬼澤邦さん、コピーライターの小野田隆雄さんと一緒にモデルオーディションを行った結果、ある一人の女性に注目が集まった。真行寺君枝さんといい、当時まだ16歳だった。
オーディションの会場でも一人だけ縫いぐるみのリュックを背負い、物静かな雰囲気を纏っていた。彼女の視線は他の誰も持っていない強い魅力と深さがあった。
われわれグラフィックチームは真行寺君枝さんを推したが、資生堂宣伝部としての見解は、秋のキャンペーンモデルを彼女と決定するには若過ぎないか、だった。
今は幼さも感じる若さが目立っているが、撮影になれば年齢を超えた魅力を発する予感があった。
真行寺さんの視線の強さと新鮮さは「撮ればわかる」自信があった。
検討の末、現場チームの意見を尊重する、となり、真行寺君枝さんに決定した。
静岡県内にある川の中洲に一部屋だけの家を建て、スタジオ代わりにした。
簡易スタジオは太陽の動きに合わせ屋根板を少しずつ外しながら撮影出来るよう考えた。部屋の内部に設置したリフレクションに、常に太陽光が直接当たり、その反射光で真行寺さんの顔と背景を照らし出す。どうしても彼女の瞳に太陽の光を映したかったのだ。
撮影本番の時は真行寺さんと二人だけの環境を作った。
当時、真行寺さんは黒人に興味があるというので、さまざまな雑誌から黒人が写っている写真を集めて、彼女の視線の先に貼りまわしたり床に置いたりした。
中洲の仮スタジオで毎日、毎日、黒人の写真が散らばった部屋で太陽光を待った。
AD→鬼澤邦、C→小野田隆雄、衣装→森英恵、HM→伊東芳乃、M→真行寺君枝